離婚回避カウンセラー木村浩康のプロフィール

はじめまして!
アプリコット離婚相談室
離婚回避カウンセラーの木村浩康と申します。

私は脱サラをして行政書士となり、その2年後に離婚カウンセラーとなりました。そして今は、夫との離婚回避を専門とし、母子を不幸にする『させられ離婚』の撲滅に尽力しています。

私の離婚カウンセラーとしてのキャリアは、2021年9月で15年を超え、これまでのクライアント様の人数も、累計で5,500人を突破するに至りました。

そんななか、クライアント様からよく頂くご質問が、今の仕事を始めたキッカケ、行政書士となったのに、離婚カウンセラーとして活動をしている理由。そして、どうして離婚回避が専門なのかということ。

まず、今の仕事を始めたキッカケは、私自身が両親の離婚を経験したことが非常に大きく、母とともに惨めな思いをたくさんしたことで、同じように困っている方を救いたいと思ったのがキッカケでした。

でも、最初からそこを目指したわけでなく、まだ離婚が珍しい時代で、世間の好奇の目にさらされる中、私は母と妹のためにも、なるべく大きな会社に就職することを目指しました。

当時まだ小学生だった妹の教育費用を捻出し、妹の大学進学の夢をあきらめさせない、そして普通に生活できるよう、安定した身分と給料が期待できる大きい会社に就職することを希望しました。

そして、私が世間に名の通った会社に就職したことで、母は私を誇りに思い、家にも金銭的余裕が生まれました。何より、両親の離婚で劣等感の塊だった私は、白い目で見た世間に一矢報いた気持ちになりました。

脱サラをして行政書士に転身したキッカケ

私のサラリーマン生活は順風で、仕事にも上司にも恵まれて、何の不満もありませんでした。

大手総合スーパーの商品買い付けバイヤーとして、各産地を飛び回り、商品開発を行ったり、担当のお店を複数店任されるなど、サラリーマンとして毎日充実した日々を送っていました。

ところが、ある休日の夜、テレビのドキュメント番組を見て、私の心に衝撃が走りました。

その番組は、末期ガンで余命1年と宣告された方が、自分の命を削りながら人のために尽力する姿、そして、自分の仕事に情熱を燃やす姿を克明に映し出していました。

その姿を見たとき、私は、自分はその人のように本当にやりたい仕事をしているんだろうか? その人のように命を懸けていいほどの情熱をもって今の仕事をしているんだろうか?

そういった疑問がふつふつと湧きました。
そして、思い出したのです!

私の父が急に家を飛び出して行方不明となり、憔悴しきった母に付き添って法律相談に行ったときのこと。

そして、この先どうしたらいいかわからず、心細い思いで法律相談の順番を待っていた私と母に対して、生きる勇気と希望を与えてくれた、あの弁護士先生のことを!

そうだ!
あのとき初めて法律の力を知った。
そして、先生の姿がとても眩しく、
強烈に弁護士という仕事に憧れた。
自分も困っている人の力になれる仕事がしたい!

そのとき私は、もう30歳半ばを過ぎていましたが、人生を賭けて挑戦できるのは今しかないと思いました。でも、当然のことながら家族や周囲から猛反対を受けました。

「会社を辞めるなんてもったいない!」
「会社を辞めたら、あとで必ず後悔する!」
「国家資格なんて絶対ムリ!」
「今から法律?たのむから普通に働いて!」

 … etc

たしかに、安定した仕事を捨てるのは非常に怖い。でも、あとで後悔したくないと思い、勇気を出して新しい扉を開けました。とても愛着のあった会社に辞表を提出し、何が何でも行政書士になろうと思いました。

最初に憧れた弁護士でなく行政書士を目指したのは、年齢的に最難関の国家資格を目指せる余裕がなかったこと、そして行政書士でもやりたい仕事はできると思ったからでした。

国家資格取得の勉強は初めてで、法律のとっつきにくさに何度も頭を抱えました。独学の限界も何度も感じましたが、慣れてくると次第に法律の魅力に取りつかれ、いつしか裁判の判例を読むのが大好きになりました。

「人は不可能なことは思いつかない!」
「できると思うからできる!」

その2つの言葉を抱きながら、毎日10時間以上、行政書士試験の勉強に明け暮れました。そして、法律に対する恋心と崖っぷちの執念が実って、一発で行政書士資格を取得できました。

1月の寒くて粉雪が舞うなか、合格発表の掲示板に自分の名前があったときの時の感動は、今でも忘れることができません。強く願えば叶うことを身をもって体験した瞬間でした。

行政書士での大きな挫折

行政書士という国家資格を手にして、自分の人生は、まさにこれからだと思いました。これでやっと自分の本当にやりたい仕事ができると思い、夢と希望が大きく膨らみました。

そして、私の母のように、離婚するのが精いっぱいとならないよう、内容証明郵便や離婚協議書の作成を通じて離婚で困っている方のサポートをしたいと思いました。

でも、いざ始めると『離婚』という言葉が、これまで固く心に蓋をして閉じ込めてきた私の過去の悪夢を呼び覚まし、まるでゾンビのように私の心に襲いかかってきました。

同時に、私が行政書士として離婚業務を行うことは、離婚をした母に対するあてつけのような気もしてきて、『離婚』という言葉が出てくるお仕事をすることに大きな戸惑いを覚えました。

そのため、私は専門分野を変えることを決断し、最初に相続・遺言書作成・成年後見に関する業務、つぎに、悪質商法のクーリングオフなど、内容証明郵便作成のプロになる努力をしました。

さらに、行政書士として会社法を学び、会社や個人商店の設立業務、お店の営業許可の業務、帰化申請業務について研究を重ねて実務を行うなど、いろんな行政書士の業務に取り組みました。

しかし、どれもこれもしっくりくることはなく、当初期待した大きな充実感はありませんでした。なにより、法律相談は弁護士の特権であるため、行政書士としてやれることの限界を感じることが多々ありました。

そのように、せっかく行政書士という素晴らしい国家資格を取得したのに、あちらこちらと迷走を繰り返したため、何のために会社を辞めたのかわからなくなり、次第に行政書士になったことを後悔するようになりました。

私がそんな精神状態にあるため、仕事にあまり身が入らず、そもそも、人脈もコネもなくて仕事が少なく、驚くべき年収となりました。そしてついに、貯金が底をついてどうにもならないという最悪の事態に陥りました。

その結果、これ以上行政書士を続けたら、親や周りに迷惑がかかるため、苦渋の決断で行政書士を廃業することを決意し、もう一度会社に就職して、生活を立て直す決意をしました。

どん底から離婚カウンセラーへ

行政書士としての仕事は見事に失敗し、私は失意のどん底にありました。周りの人は「やっぱりね。」「無理だと思った。」「地道に働かないからこうなった」と口々に言い、私が再就職を決断したことを冷ややかな目で見ていました。

電話帳から行政書士事務所の電話番号を削除して、失意のなかハローワークに足を運び、不動産会社での再就職を考えました。そして、不動産会社に再就職が決まりかけた時、1本の電話が鳴りました。

そのお電話は、親の離婚トラブルで苦しむ方からのご相談でした。その方は、3日後に削除するはずのホームページをご覧になったとのことで、私は久しぶりのお仕事で気持ちが高まり、時間を忘れ、夢中になってアドバイスをしました。

そして、ご相談者様から「先生、ありがとうございました。」「お電話ができて本当に良かったです。」と仰って頂き、なぜか、「先生も頑張ってくださいね。」と励まされ、不覚にも涙がこみあげました。そして、確信しました。

やっぱり自分の道はこっちだと!!

両親の離婚で経験した、つらい記憶の数々。いつも感じていた強い屈辱と劣等感。見事に失敗はしたけど、弁護士に負けないレベルを目指して取得した法律知識や離婚の専門知識の数々!

そして、離婚協議書・離婚公正証書の作成、再婚時の遺言書作成、不倫相手に対する内容証明郵便の作成や示談書の作成など、行政書士としての実務経験は、離婚カウンセラーになるためにあったんだ!!

そう確信した私は、あらゆる離婚トラブルに対応するため、もう一度、離婚の専門書を片っ端から読破しました。そして、同時に民間のカウンセリング資格も取得して、離婚カウンセラーと正式に名乗れるようにしました。

あのとき、あのお電話がなかったら、今の私は存在していません。まさに『夢破れた惨めなオッサン』で終わっていました。そのご相談者様から頂いた感謝のお手紙とお洒落なネクタイは、私の一生涯の宝物となりました。

離婚カウンセラーから離婚回避カウンセラーへ!

自分の進むべき道を再確認し、離婚カウンセラー兼行政書士として蘇った私は、どちらかといえば、離婚したい方のサポートがメインとなっていました。

男女を問わず、不倫やDVなどで夫婦関係がうまくいかなくなり、離婚をすることによって人生を立て直したい方、そんな方をサポートするのが当時の私の主なお仕事でした。

でも、もともと「離婚は諸悪の権化!」「離婚は子供に大迷惑!」と思っていた私は、必要な離婚もあることを感じつつ、なんとなくすっきりしない毎日を送っていました。

そんななか、同じ頃に発生した2つの案件が、再び私の人生を大きく変え、私を『夫との離婚回避』の方向に強烈に駆り立てました。

1つ目の案件は、夫婦ですでに離婚を決めていて、その夫の方から離婚公正証書の作成依頼を受けた案件でした。

離婚は夫の不倫が原因でしたが、夫婦で離婚の合意があったため、速やかに公正証書作成の手続きを済ませました。そして、夫の方から引き続き「離婚届の証人になって欲しい」との要請を受け、ご指定の市役所に向かいました。

いざ、夫から指定された市役所に到着すると、そこに憔悴しきった奥様の姿と2人の幼い娘様の姿がありました。

そして、2人の娘様たちは、両親が離婚して、父親が不倫相手の所に行くことを知ってか知らずか、父親にしがみついて傍を決して離れようとはしませんでした。

その娘様たちの姿がとても痛々しく、ひとしきり虚しさが込み上げました。さらに奥様が、「先生、これでよかったんですよね。」と、ポツリとつぶやかれたため、私は言葉を完全に失いました。

お仕事については、ご依頼のとおりできたけど、何だか、私が夫婦の離婚を決定づけて、2人の娘様を不幸のどん底に突き落としたような気持ちがして、本当に沈鬱な気持ちになりました。

そして、もしも、夫婦が離婚を決める前に、奥様の方から私にご相談があったなら、何とかなったのではないか、また違った形になったのではないかという思いがして、やりきれない思いがしました。

もう1つの案件は、夫から厳しい離婚要求を受けたものの、クライアント様の自分を変える努力の甲斐あって、どうにかこうにか夫との離婚回避が実現できた案件でした。

同じように、その夫婦にも幼い2人のお子様がいらっしゃいましたが、最後にご家族でご挨拶に来られたとき、クライアント様の目に滲んだ涙を見た途端、私も嬉しくて不覚にも涙がこぼれました。

その後も、お子様たちが車から身を乗り出して、「先生、バイバイ!」「先生、またね!」「先生、ありがとう!」いつまでも手を振ってくれたため、涙が止まらず大変なことになりました。

その時の幸せな光景は、今でも鮮明に蘇ります。その瞬間、その時受けた感動こそが、私の人生を再び大きく変え、私が離婚回避カウンセラーとして生きてゆくキッカケとなりました。

両親の離婚によって母親と子供が受けるダメージは、両親が離婚をして悲惨な目に遭った私が一番よく知っていますし、これまでたくさん離婚相談を受けてきて、離婚要求する夫の心理状態や不倫トラブルのこともよくわかります。

何より私は、離婚だけでなく、離婚回避のご相談もたくさん承っていて、離婚回避のノウハウも持っていました。しかも、男性心理についても研究を重ねていましたから、まさに、家族の絆を守るのが私の使命だと感じた瞬間でした。

人はよく、「オトコが一度言い出したんだから離婚回避は無理!」「夫の離婚の気持ちを変えるなんてムリ!」と言います。確かに夫との離婚回避はむつかしい。それは否定しません。ときに必要な離婚があることも十分承知しています。

でも、まだまだ夫婦はやり直せるのに、夫の強い感情に押されてやむなく離婚を決め、子供とともに不幸のどん底に落ちるケースが多いのが現実です。私は、そんなみすみす不幸になる妻子を救いたい! ただその一心で今の仕事をしています。

夫との離婚回避は難しいといいますが、多くの失敗には共通点があり、みんなそれに気がついていないだけです。ほんの少しの気づきで人生がガラリと変わりますし、夫の絶対は絶対ではありません。

あなたの人生は、結局のところ、あなたの考え方次第でどうにでも動きます。離婚回避の答えも、夫ではなくあなたの中にありますからね。あきらめるなんてまだまだ早い!

夫との不幸な離婚が減り、私と同じような思いをする子供が1人でも減ることが私の最大の喜びです。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

アプリコット離婚相談室
離婚回避カウンセラー木村浩康

カウンセラー木村浩康の略歴

■ 福山市立福山高等学校卒
■ 専修大学経済学部経済学科卒
■ 会社就職(流通業・バイヤー職)
■ 2004年9月 
木村法務行政書士事務所を開設
■ 2006年9月~現在
行政書士&離婚カウンセラーとして活動
離婚カウンセリング歴:15年以上
クライアント様:累計で5,500人を突破